プロフィール

昭和42年生まれ。沖縄独特の歴史教育を受けました。

日本が嫌いだった幼少期

沖縄独自の歴史教育の影響で、幼少期は日本が嫌いでした。

音楽の教科書の国歌の部分にはプリントを貼らされ、沖縄が戦争中日本軍に酷い目に遭わされたと繰り返し教えられました。

子供の時の私は日の丸も君が代も大嫌いで、祝日に父が国旗を掲げようとするのに大反対した記憶があります。

マインドコントロールに気づく

私の親父は子供を弁護士化検事にするのが夢で、それを繰り返し刷り込まれた私は、東京の大学の法学部に進学しました。

大学での勉強は全然はかどらず、卒業後弁護士事務所でアルバイトをしましたが、暴力を含んだ厳しい職場環境で通勤中倒れてしまいました。

その時、私は弁護士にも司法試験にも何の興味もないことに気づいたのです。

親父のマインドコントロールが解けた瞬間でした。

4000万円の借金に愕然

心機一転沖縄でやり直そうと帰省した時、家に4000万の借金があることを知りました。
もうショックで、言葉がありませんでした。

親父が財産運営の失敗で作った借金。

親父は先祖伝来の土地を切り売りすることで家計をやりくりしていたのですが、使える土地はほぼ売り払い、手元に残っていたのは問題含みの傷だらけの土地ばかりになっていました。

家には体の弱い母とまだ学生だった弟が3人。

「返済能力のない親父に変わって私が家計を支えるしかない!」
と、長男の私は借金をしょいこんでしまいました。

不動産会社で勤めながら借金返済するも・・・

残された傷だらけの土地を整理するため、半年必死で学び宅建免許を取得しました。

そこから弁護士、司法書士、銀行などの専門家を訪ね歩きながら、6年間不動産会社に勤めました。

一時は、借金も雪だるま式に増え、1億に達しましたが、20年以上かけて何とか返済することができました。

でも、私の心と体はボロボロになり、一時は入退院を繰り返すような状態になりました。

精神的な安定を求めて

落ち込むことが多い中、私の心の支えになっていたのは、仏教でした。

熱心に信仰しており、幹部に近いポジションに上り詰めるまでに。

でも、不動産会社勤務の後、目標にしていた教員の職につき、その内容があまりに辛かったことや、母が亡くなったことが重なり精神的に追いやられた時に信じていたものが崩れていく瞬間がありました。

日本神話との出会い

信じていたもの・心の支えをなくした時に精神病院に入院することになりました。

その入院生活の中で、

  • 「落ちるところまで落ちた」
  • 「もうこれ以上は落ちない」
  • 「この世にはここから先は落ちない“セーフネット”がある」
  • 「ここからは上がっていくんだ」

ということを感じました。

そこから、ネットやYouTubeで色々な情報を探していく中でたどり着いたのは、竹田恒泰先生のYouTubeチャンネルでした。

最初に見たのは政治の話の動画だったと思いますが、そこから日本神話に初めて触れ、感動します。

日本には、「日本神話」という宝物があるということに気づいたんです。

  • 日本は、神様の世界だった頃の約束が守られている唯一の国であること
  • 日本の素晴らしさは、今現在封印されてしまっているということ
  • 日本はとても素晴らしい国であるということ

「こんな素晴らしい事実を、日本人が知らないなんておかしい!」

黙ってはいられない性分、「おかしい」をそのまま放っておけない性分もあって、「この事実をたくさんの人に伝えていきたい!」

と思いました。

日本神話を伝える側になったきっかけ

そんなある日、速読術の一つである「楽読スクール」に行った時のこと。

楽読スクールで、日本神話について語る機会がありました。

その当時知っている内容を、「日本の素晴らしさを知ってほしい」という想いで語ったところ、楽読スクールを当時主催していたカレンさんという方から、「楽読を語っている時、一番いい表情をしている」とフィードバックを受けることに!

初めて「求められた」という、心が喜ぶ体験でした。

この体験の後に、本格的に日本神話について学び、伝えていこうと決意。

今も当時の想いと変わらず、日本神話にこめられたメッセ―ジを現代に伝えたいとの思いから、本格的に2018年6月からは神話のお茶会を開催したり、神話についてYouTubeで発信するようになりました。

今では、全国で神社のツアーを開催したり、zoomを使って神話のセミナーを開催しています。

日本神話を伝えることで願うこと

今思えば、絶望や失敗を繰り返しながらも道を違えず生きてこれたのは日本を好きな気持ちがあったからだと思います。

日本は途轍もなく素晴らしい国です。

日本の魂の根幹である日本神話や神道を学べば日本を愛さずにはいられません。

どんな絶望にも困難にもくじけない強い日本人を育てたい。

そして、日本の子供たちに明るい未来を手渡したい。

そう願ってやみません。